こんにちは☆DANCE navigation MEGUROのゆりあです
今日はお米をとぎながらふと思ったお話をします。
(ちなみに今今日は、と打とうとしたら、凶はと出てきました・・・・・思い出される・・・・・)
お米をといで、お水を捨てようとしました。
その時少しぼーっとしてしまって、何粒か
お米が排水溝に吸い込まれていきました。
このお米達は食べられるために生まれてきたのですが、
流れてしまったお米達は食べられることなく終わりました。
このお米の一生はあっけなく、1番輝ける時を逃し、人生を終えたのです。
ですが、私たちにとってそのお米、流れていってしまったその一粒。
その一粒を食べなくてもそうたいしたことではないのです。
あぁなんてことでしょう・・・
そのお米にとってはたった1回の自分の人生ですから、非常に大切で重要な瞬間でしたが
私たちからしたら、気がつかなく終わっていくことだったかもしれません。
人間ってなんてちっぽけなのでしょう。
この流れていってしまったお米は1人の人間。
私たちを世界とすると
私たち1人の人生は、世界には気にもならないことなのです。
という話をえのっき先生にしたら
「いや、そのお米はその排水溝を通って、大海原に旅だったのかもしれない。」
「無限の可能性を秘めている」
みたいな(ニュアンス)お言葉をいただきました。
素晴らしい・・・!
そうかもしれない!
終わりだと思っていたことはもしかしたら始まりかもしれないし
この道しかないと思い込んでいたけれど、思わぬ所から新しい道が開けるかも!!!!
人生を
80歳までとすると
私たちは
29,200日しか生きることしか出来ません。
あなたも私も10,000日生きたときは、
27歳と少しをすぎたときです。
(ここは受け売り笑)
もう10,000日生きてしまったと考えるか
あと約20,000日生きることができると考えるか。
今このまま、人生を流れるままに歩んでいく=炊飯器で美味しく炊かれる
思い切って別の道を歩む=排水溝に流されたら大海原にたどり着くかも(もしかしたらたどり着けないこともある)
考え方次第です。
でも、
Happyに生きたいですよね。
私の人生は私の物ですから。
みなさん、頑張りましょう。
あのお米が大海原にたどり着けますように☆